狛犬瓦版

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仮面ライダーゼロワンを語りたい

 いやあ、面白いなあ『仮面ライダーゼロワン』! 毎週日曜日が楽しみで仕方がない。

 

 さて、19年続いた平成ライダーの歴史は『仮面ライダージオウ』で幕を閉じ、新たな令和ライダーの先駆けとして、ニューヒーローゼロワンが登場した。『仮面ライダージオウ』が平成ライダー総決算としてお祭り、感謝祭的な作品だったのに対し、『ゼロワン』はその逆、新たな時代の始まりを告げる鏑矢である。

 

 言うまでもないがこれは凄まじい大役だ。昭和ライダー、そして仮面ライダーという伝説の第一走者である「仮面ライダー1号/2号」。平成ライダー1号であり、今なおその高いクオリティで数多の人々を魅了する『仮面ライダークウガ』。これから先、仮面ライダーについて語るときは、必ずこの偉大な二作品と『仮面ライダーゼロワン』は同列に語られる。生半可な出来は許されない、それは今後の玩具売り上げにも関わる。

 

 そして……東映は高まるファンの期待にこれ以上ないくらいのストレートで応えてくれた。

 

 メイン脚本は『仮面ライダーエグゼイド』で好評を博した高橋悠也。監督には『ルパンレンジャーVSパトレンジャー』や『ジオウ』アギト編で一躍その名を轟かせた杉原輝昭を起用。そして音楽は『仮面ライダーゴースト』の坂部剛

 

 平成ライダーをこれまで追ってきた身としては、唸らざるを得ない完璧な布陣だ。「傑作を作ってやる」という断固たる決意が滲み出る。

 

 ライダーのデザインも素晴らしいの一言に尽きる。主役ライダーであるゼロワンは、バッタモチーフという仮面ライダーの王道中の王道を走りつつも、メインカラーは蛍光イエローというかなり外連味のあるものだ。これまた王道の「涙ライン」を完備しつつ、仮面要素をこれでもかと強調した目を引くデザインである。関節部にほとんどをアーマーを装着していないので、スーツアクターが動きやすいのが一目でわかる。

 

 そして何より変身音声。

 

「Jump! オーソライズ 『変身!』 プログライズ! 飛び上がライズ! ライジングホッパー!!  A jump to the sky turns to a rider kick」

 

 震えた。平成二期に代表される、ともすればうるさいとも取られかねないような個性的な変身音声と、平成一期のようなスタイリッシュさの見事な融合。新時代の夜明けを見た。

 

 そして迎えた本放送。幸いなことに公式は1話と2話をYoutubeにて無料配信している。

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 そこには、素晴らしいクオリティの特撮作品があった。

 

注意! ここから先は『仮面ライダーゼロワン』本編のネタバレが含まれています! ネタバレが苦手な方は上のリンクから本編を視聴した後にお読みください!!

 

 第1話。冒頭から脚本の妙が光る。飛電インテリジェンスのPR映像を流すことによって、視聴者に簡潔に世界観を伝えつつ、そのニュースを読み上げるキャスターすらもヒューマギアであることによって、設定の開示とその補強を一瞬でやってのけた。

 

 次の遊園地のシーンも実にニクイ。或人が発した「ヒューマギアにお笑いは分からないでしょ!」という言葉は視聴者の気持ちを代弁している。そしてその直後に登場する腹筋崩壊太郎が見事に観客の笑いをとることで、ヒューマギアが一般的なSFと比べて極めて性能が高いことをこれでもかと描写してのける。このギャグが地味に面白いのもより説得力が増すポイントだ。

 

 とにかくまあ、構成が上手い。キャラクターがそれぞれどのような考えを持って動き、どのような評価を受けているのかがこの短い放送時間の中で手に取るようにわかる。

 

 それ故に、飛電或人が「笑うなよ!」と叫ぶシーンの熱量が凄まじい。たかだか10数分しか見ていない男の背中に、バックボーンと説得力を感じ取れる。高橋文哉氏の熱演もそれを強力に後押しする。

 

 そして待ちに待った変身シーンだ。特撮ものの第1話において、もっとも盛り上げるべき場所というのは変身シーンと必殺技を使うシーンなのだが、ここでその前半は完璧に達成した。

 

 そしてゼロワンの戦闘シーン。ダイナミックな格闘に『ルパパト』で培われた多彩なカメラワーク。気合の入ったCGはくどくなり過ぎず、それでいてゼロワンの軽やかな戦闘を鮮やかに魅せる。戦闘BGMとして初お披露目となった主題歌、「REAL×EYEZ」も軽快かつ気合の入ったシャウトで戦闘を盛り上げた。

 

 必殺技、「ライジングインパクト」は『エグゼイド』を思わせる大胆な文字が画面に表示されるスタイルで、こちらもまた非常にインパクトが強い。

 

 戦闘終了後、或人が「人を笑顔にするのはお笑いだけじゃない、ヒーローとしてでもできる」と気づくシーンは正に王道で、これからの主人公としての活動に強い説得力を持たせるだろう。

 

 もう満点である。心の中に飼ううるさいオタクも白旗を揚げた。ヒーローものの1話として、パーフェクトといって差し支えない。令和ライダーの先駆けとして、これほどまでに相応しいものがあるだろうか。次回への引きを持たせつつ、単一のエピソードとしてきっちり完結しているのも見逃せない。

 

 続く2話もこれまた白眉の出来だ。個人的な好みで言わせてもらえば、1話よりも断然こちらの方が好きだ。

 

 2話で主にスポットが当たるのは二号ライダー・不破諫。彼の思想・信条にフォーカスしていく過程で、それと対になるように主人公たる飛電或人の掘り下げを行っていく。

 

 同じ事件で共に生き残りながら、全く違う想いをヒューマギアに抱く両者。その対比は「ヒューマギアは人類の夢だ!」/「ヒューマギアは人類の敵だ!」と叫びながら変身するシーンで結実する。『555』の『夢の守り人』を思い出させる名シーンだ。

 

 無論、このシーンで最大瞬間風速が発生するのは、脚本の妙技である。片や「じゃ、俺の家族みたいなもんだ」とまで言ったヒューマギアが暴走、それを撃破しなければならないという極限状況に置かれた上でなお「夢」だと言い切る。片やヒューマギア、ひいては飛電インテリジェンスに対する不信感と憎悪をぶちまけた上で、凄まじい形相で無理やり変身アイテムのロックを解除する。この積み重ね。オタクはこういうの大好き。

 

 港のコンテナで激闘を繰り広げる不破/仮面ライダーバルカンと、壮絶なバイク戦の末にたまたま同じ港にたどり着いてしまうゼロワン。ゼロワンが悲痛な声で「お前を倒せるのはただ一人……俺だ!」と決め台詞を叫びながらマギアを撃破し、マギアをコンテナに縫い付けてから本命の一撃を放つという執拗さと憎悪を見せつけながら撃破するバルカン。両者は貫通したコンテナ越しに対面し、ゼロワンは煙に乗じて姿を消す。

 

 あ~~~~~~~~好き!!!! こういうの大好き!!!!!! なんだこれ、好きのフルコースなのか!? カッコいい、カッコよすぎるだろ!!!! 

 

 ワカっている。制作陣は確実に男の子が大好きなポイントをワカっている。ワカった上で、そのシーンに持っていくにはどのようにイベントを起こすべきか、どうしたらそのシーンに視聴者はカタルシスを感じるのかを冷静に計算し、それを叩きこんでくる。

 

 これ本当にまだ2話なんだよな!? もう15話くらいの気がするぜ!!!

 

 制作陣のワカっている攻撃は止まらない。3話においてはSFファンのツボを的確に刺激し、4話では或人と不破の関係性にフォーカス。変身者バレという一大イベントを僅か4話で消費するという暴挙ながら、まー面白いんだこれが。2話で魅せた対比、そしてそれから繋がる「こいつらなら間違いなくこうする」という説得力がすごい。

 

 不破がただの憎悪に任せた復讐者ではなく、筋の通った漢であることを描写しつつ、「今日は非番だ」や或人のつまらないギャグに爆笑しかけるお茶目な点をアピールするこの絶妙なバランス感覚もまたたまらない!

 

 そして或人のキャラクター造形もまた絶妙だ。基本的に理想のヒーローとでもいうべき精神性を持っている彼だが、その背後に無自覚な独善も見え隠れする。ヒューマギアに心を感じているように描写しながらも、「ニギローがどれかわかんねぇ……!(=ニギロー以外なら破壊してもいい)」に代表されるようにヒューマギアをあくまで道具として認識しているようなフシもある。いやあ、たまらん。

 

 まだ4話しか放送されていないというのが信じられないくらいの情報密度、瞬間風速である。

 

 そしてここには明確に『エグゼイド』の血を感じ取ることができる。エグゼイドも『Somelieの極意!』(素晴らしいセンスだ!)から加速度的に物語が進行し、毎話クライマックスといっても過言ではないほどの瞬間風速を誇る作品だった。

 

 そんな『エグゼイド』の難点としては、序盤が少々キツイことにある。それぞれのドクターたちの描写をしつつ、新玩具を毎話出すというのは作劇的にかなり圧迫されている印象を受けた。逆にそれから解放された後が「ノルマ達成したから全力で行くぜ」と言わんばかりのフルスロットルなのだが。

 

 そして『ゼロワン』はこれを周到に解決しにかかってきている。まず1話完結としたことによってテンポが非常に良くなった。新フォーム・新ライダーを登場させることについても、作劇的に理由付けを行うことで無理なく適合させている。ここら辺の工夫は『ルパパト』に通じるものがあるなあと言った印象だ。

 

 そこには東映が今までの特撮で培ってきたノウハウを融合・昇華させようという野心的な試みを感じることができる。

 

 豪胆にして堅実、相反する二本の軸で視聴者を翻弄し、狂喜させる『仮面ライダーゼロワン』。我々は新時代のヒーローの誕生を、この目で目撃しているのだ。

戦闘妖精・雪風、帰還

 その日、SFファンの間に激震が走った。神林長平著『戦闘妖精雪風』、4部開幕。

 

 !?!?!?!?!???!!!!!!

 

  まさか、と目を疑った。本当に?と裏取りを進めた。だが厳然たる事実として横たわる『戦闘妖精雪風』4部が、SFマガジン2020年2月号から連載されるという告知。

 

 最高じゃないか……祭りの始まりだ。我々はこの時を待ち望んでいた。

 

 

 とまあキリストの復活の如き大盛り上がりだったわけなのだが、本記事は簡単に言えば『戦闘妖精・雪風』の薦めである。

 

 正直、この記事でどこまで触れていいのかかなり悩んだ。神林長平作品に触れるなら、何も事前知識が無いまっさらな状態でいてほしい。そして己の人生観をミキサーにかけられてほしい。が、そんなことを言ってホイホイ突っ込んでくるのは変態しかいない。そしてそんな変態は既に神林長平は履修済みだ。

 

 この記念すべき祭りの前に、一人でも多くの無垢な人々をSF沼に沈めたい……複雑怪奇なロジックに翻弄され、それを理解して自らの栄養にする喜びを味わってもらいたい……そんな邪悪極まりない想いが私を支配する。

 

 何? この時点でもう読みたくなってきた? なるほど、貴様には見どころがある。こんな記事を読んでいないで、今すぐ近所の古本屋に走るか通販サイトでポチるか、電子書籍を買うといい。魅惑の世界が貴様を手招きしているぞ。

 

 まだ興味がわかないという正常な判断力を持っているそこの君。プラウザバックをしようとするのはちょっと待ってほしい。まあそこにでも座ってくれたまえ、そう、そこ。今飲み物でも持って来よう。何、夜は長いんだ安心してくれ。

 

 さて、どこまで話した? ああそう、OKOK。

 

 『戦闘妖精・雪風』は1979年から1983年にかけて連載され、1984年に文庫本として出版された作品だ。ドラマCD化、アニメ化などの一通りのメディアミックスはこなした歴戦の勇者でもある。この時点で一定の面白さは保証されたようなものだろう。

 

 肝心のあらすじであるが、気になる人はWikipediaを読んでもらうのが一番手っ取り早いと思う。かなりよく纏まっている。私は『戦闘妖精・雪風』は一切の事前情報無しで読むのが最高の読書体験になると思っているので、敢えてあらすじを紹介しない&触れない方針で話を進めていきたい。

 

 『雪風』はSFものなので、超技術の類がそれはもう大量に登場する。SF界にはいわゆる流行り廃りのようなものがあって、作品に登場する超技術は当時の未来予測に基づくものがほとんどだ。そのため、今の視点から見ると「そりゃないよ」という荒唐無稽なものになっていることも多々ある(それが作品の出来そのものに直結するかどうかは、また別の話である)のだが、『雪風』が示した未来予測は驚くほど今考えられているものに近い。1979年に執筆開始されたという事実を知ったとき、「嘘だろ」という感想しか出ないほどだ。正直、神林長平が未来人だったとしても驚かないレベルである。

 

 そしてこの緻密なSF設定に基づいた物語は、我々読者の想像を遥かに超えた方向へと飛んでいく。自己と他者の定義、全く異なる知的存在とのコンタクト、つまり自我とは一体何なのか。第三部にして現段階での最終章である『アンブロークン・アロー』のラストシーンの美しさは、もはや小説媒体として表現できる限界値を遥かに突破している。

 

 この美しさを表現する言葉を私は持たない。

 

 私は『アンブロークン・アロー』の美しさに完全に心奪われ、これで完結したとさえ思っていた。それほどまでに『戦闘妖精・雪風』という作品、ひいては神林長平という作家の全てが濃密に凝縮された作品だった。人間一人の人生観全てを圧縮したものと言っても過言ではない。

 

 そしてそれの続編たる4部の幕が遂に開く。私は神林長平が私の貧弱な想像力を軽く飛び越えていく作家だということを知っている。あれほど完璧に仕上がった『アンブロークン・アロー』を超える高みを見せてくれる。その喜びに今からワクワクが止まらない。

 

 おかえり、雪風。おかえり、深井零。私はずっとあなたたちを待っていた。

 

 とまあ、本当に申し訳ない。初心者におすすめすると銘打っておきながら、このザマだ。オタクが大興奮して喜びをまき散らしただけの記事だ。だが、私は断言する。『戦闘妖精・雪風』は必ずあなたの心に残る本になる。それが良い形になるか悪い形になるかはその人次第だが、心に残ることだけは確実だ。

 

 さて、ここまで付き合ってくれた方、本当にありがとう。もし許されるのであれば、『戦闘妖精・雪風』をその手に取ってみて頂きたい。共に、フェアリィの風を感じよう。

なぜVtuberファンは配信者に対して「甘い」のか

 最近、Vtuber関連のnoteをよく見る。新しくハマっただとか推しについて語るだとか、その内容はまさしく千差万別と言って差し支えないが、その中でも目に付くのは「Vtuberに飽きました」or「Vtuberの行く末」などと銘打たれたものだ。

 

 まあ、記事の是非については正直どうでもよろしい。それはあくまで個人の感想であって、同調するかしないかはそれこそ個人の自由である。晒上げして叩くなどもってのほかだ。

 

 ここで私が気になったのは、どの記事も判で押したかのように「Vtuberファン層への不満」を述べているところである。曰く、「ファンは配信者に対して甘すぎる」。私が驚いたのはほぼ全てのnoteがほとんど同じ点について触れていることだ。少数人が言っているだけならそれは個人の受け取り方で片付けられるものであるが、ここまで同じ意見が続出するとおそらく本当なんだろうな、という気がしてくる。

 

 主に私の観測範囲は企業所属Vtuberの方であり、交流を持たせて頂いているファンの方々も同様である。個人勢をメインに見ている方々はどうだかわからないが、確かに我々は配信者に対して甘い。放送開始が遅れても「いいよ~」で済ますことは日常茶飯事であるし、何らかの不備、不手際が発生したときでも基本的には「気にしないで、次気を付けよう」で終了する。そこに「プロ意識に欠ける」だの「ふざけるな」だのと怒りを露わにする人物はいない。

 

 代わりと言っては何だが、運営会社に対して怒りをぶつける人間がいることは否定できない。公式Twitterのリプ欄を見れば、暴言スレスレか軽くそのボーダーを飛び越えている汚らしい言葉を目にすることはままある。それでも基本的にそのようなコメントをする人々は大多数のファンからは鼻つまみ者として扱われるし、糾弾されることも珍しくない。公式リプ欄についても、ソーシャルゲームなどの公式アカウントと比べれば応援メッセージの方が多いのは一目瞭然だ。

 

 ではなぜ、ここまで我々ファン層は配信者および運営サイドに対して甘いのか? 惚れた弱みと言ってしまえばそれまでだが、それではあまりに芸が無いし、ここでは敢えてそれを考察してみようと思う。

 

 

 まず大前提として、Youtubeは基本無料だ。我々は基本的に配信者に対して対価を払わずにその動画や生放送を視聴している。メンバーシップやスーパーチャットといった配信者側にお金を届けるシステムも存在するが、それはあくまで任意だ。メンバーシップに入っていないからといって他のファンに爪弾きにされるということはないし、高額スーパーチャットが驚きと称賛を受けることはあっても、低額スーパーチャットに対して文句が出ることはない。

 

 ここでポイントなのが、支払いが完全に善意であり、そこに対してリターンが発生しないことである。基本的に視聴者がお金を払うことによってリターンが発生するのはメンバーシップに加入していることだけで、幾らスーパーチャットを送ろうが何か特典が発生するわけではない。

 

 同じく基本無料で楽しめるソーシャルゲームにおいては、お金を支払えば支払うだけ有利なシステムになっているのが常だ。それ故に高額課金者はやっかみを買うし、課金する人々も何らかのリターンを期待するが、ガチャというシステムが導入されている都合上、払った金額に見合う成果を得られないことも多い。そしてその怒りの矛先は運営サイドに向かう。

 

 対して、スーパーチャットを送る人々はリターンを全く期待していない。送りたいから送る、生配信への感謝の気持ちとして送る、それだけだ。悪い言い方をしてしまえば、自己満足の世界である(もちろん、配信者側はそれで利益を得ているので単なる自己満足ではない)。それ故にソーシャルゲームにおける課金者に相当する人々はすなわち熱烈なファンであり、一般の無課金者=普通の視聴者においても嫉妬心を煽られることが無いので文句を言わない。

 

 このリターンの少なさこそが、積極的に配信者サイドに関わろうとする人間があまり文句を言わないことに繋がってくるのではなかろうか。

 

 金の話をするだけでは少々がめついので、精神的な話もしておこう。

 

 当たり前のことだが、Vtuberは生きた人間である。いくらアニメ調のガワを纏っているからといって、彼彼女らは単なるキャラクターではない。暴言を吐かれれば傷つくし、自分が失敗したと認識していることをネチネチと掘り返されるのは決して気分の良いものではない。また、何らかの企業バックアップがついている以上、問題が発生した場合には運営サイドからの指導が入ることは容易に想像がつく。

 

 つまり、ファンサイドが文句をつける必要などどこにもないのである。そして仮に本人、運営サイドが気づいていない事態が発生したとしても、それに対する注意は極めて論理的かつ穏便にされるべきだ。勘違いしている者もそこそこ多いが、配信者とリスナーとの接点はほぼない。言ってしまえば顔見知り程度(顔知らないけど)の関係である。そんな人たちから突然ケンカ腰で文句を言われたとき、人はそれを素直に受け止めることができるだろうか?

 

 それを「甘い」、「馴れ合い」と呼ぶならそれはそれで構わないと思うし、上記のことを意識している人などほとんど居ないと思うが、このような状態を俗に「民度が高い」というのではなかろうか。

 

 そんなわけで、私は今日も推しを褒める。褒めちぎる。もちろん、ダメなことは穏便に指摘するつもりではあるが、少なくともそういった事態は観測範囲内で発生していない。

 

 やさしいせかいでいいのだ。配信者とリスナーは味方同士、争う必要など全くない。少なくとも、私はそう思う。

 

追記9/23

 なんだか勘違いされている方が一定数いらっしゃったので、一応釈明をしておく。

 

 私は意見を持つこと自体は否定していない。全肯定マシーンになることを推奨しているわけではない。要するに、伝えるTPOを弁えるべきだ、ということなのだ。

 

 人間というものは非常に難儀で、同じ指摘を受けたとしてもその時々の状況によって受け取り方が全く変わってしまう。つまり、助言及び注意というものは適切なタイミング、適切な言葉で伝えられたときに初めて効力を発揮するものであり、場合によってはそれが毒となる可能性すら存在する。

 

 そして、それを見極めることは非常に困難だ。我々は配信者と常時接しているわけではなく、配信者は表の顔をしか我々に見せない。この状態で無責任に注意や要望を送ったところで、毒となる可能性は否定できない。我々に見えないところで配信者がストレスを溜めている可能性すらある。

 

 では、我々は運営や配信者に対して何の要望や意見も送ってはいけないのか? それはNOである。理想はどうあれ、運営に対して我々が顧客である以上、要望を提出する権利は確実に存在する。

 

 ここで大切になってくるのが「時と場合」である。配信者を出来るだけ傷つけずに、我々の要望を最も穏便な形で送るにはどうしたらよいか。つまり、運営側が何か意見を募集しているタイミングを見計らって、そこに自分の要望を提出すればよいのだ。これならば運営的にもファンが何を求めているかを知ることが出来、我々としても配信者に余計な負担をかけることなく意見を具申できる。ただ、意見募集をされていないときに送り付けたところでそれは単なるワガママ、クレームとみなされる可能性が高い。どうしても自分の意見を常時聞いてほしいのなら、運営会社の株主にでもなろう。

 

 無論、自分の要望が全て通ると考えるのは思い上がりも甚だしい。それは単に配信者を自分の思い通りにコントロールしたいだけであり、自分の欲しいものが手に入らなかったことに対して駄々をこねる赤子と同等の恥ずべき考えである。

 

 結局のところ、最後に頼れるのはファン個々人の良心だ。配信者に対して何か注文をつけるとき、自分の胸に手を当てて考えてほしい。それは本当に必要な注文か? 注文そのものが無礼ではないか? そして、あなたが注文をつけるタイミングは適切ですか?

 

 私はその諸々を勘案した結果、「甘い」のである。代わりといっては何だが、公式のアンケートには必ず要望を書いて送っている。

ゲームを楽しむということについて~ありがとう、白上フブキ~

※ この文章の序盤はかなり重苦しいです。ご気分の悪いときには途中で読むのを止めず、最後まで読み切るか中盤まで読み飛ばしてください。

 

 突然だが、私は失敗するのが嫌いだった。

 

 いつからかは分からないが、私は失敗を極端に忌避するようになってしまった。理由には色々心当たりはあるが、単純に挑戦するのが嫌になってしまった。勝てる勝負しかしない、負けそうなら何かと理由を付けて逃げる。そんな人間だった。

 

 私はゲームが大好きだったが、その考えはゲームにも波及してしまった。ゲームをプレイしているときに、「MISSON FAILED」や「任務失敗」の文字が出るのが嫌になってしまったのだ。

 

 楽して勝ちたい、と思った。

 

 「努力は裏切らない」という格言があるが、これは嘘だ。努力は平気な顔をして裏切る。人間が努力をするというのはつまるところリスクを負うということに相違ない。努力をすれば成功できる・勝てるとは限らない。もし失敗すれば、今まで懸けてきた時間を全て失ってしまう。そんなのは嫌だった。

 

 そして人間が成功するために必要なファクターは、努力以外に二つある。金と運だ。

 

 成人もしていない私は金が無かった。あとは運に賭けるしかなかった。私は運が悪い方だが、努力をしないということは大変に楽だ。負けても「運が悪かった」で済む。自分の実力に傷はつかない。そして何かをベットする必要もない。負けても失うものはなく、勝てば最高。そんな素晴らしいギャンブルだと思っていた。

 

 まあそんなわけで、私はコンシューマーゲームを捨ててソーシャルゲームを始めた。ソーシャルゲームは良い。運よくガチャでレアなキャラクターやアイテムをゲットできれば、それだけで自分は最強だ。高難易度と銘打たれたボスは運だけで手に入れたレアキャラがゴミクズのように粉砕してくれる。友達が持っていないレアキャラを引ければ、それだけでマウントが取れる。勉強で勝てないアイツにも、スポーツで勝てないアイツにも、運だけで勝てる。

 

 なんというか、私はソーシャルゲームと非常によろしくない付き合い方をしていた。

 

 まあ、そんなわけのわからない考え方もすぐに終わりが訪れる。どれほどプレイしたところで、結局ソーシャルゲーム無課金者が上位陣に勝つことはできない。課金の量が違うということは、つまり持っているレアキャラの数が違うということだ。

 

 私は同級生の課金者に絶対に勝てなかった。金は運より強かった。ついでに言えば、私より運が強いやつには勝てなかった。

 

 私はソーシャルゲームも捨てた。人と比べられないゲーム、コンシューマーゲームに出戻りしようと思った。でもダメだった。運だけで勝ち負けを決める環境にどっぷり漬かっていた私は、余計にゲームに敗北するのが嫌になった。コンシューマーゲームでの敗北は言い訳が出来なかった。敗北はすなわち自分の実力不足、ゲームへの理解不足、研究不足を意味する。今までのように、「ま、運が悪かったから仕方ねぇな」で誤魔化すことはできなかった。

 

 私は幼い頃からゲームが好きだった。幼稚園の帰り道、母に買い与えられた「ポケットモンスター ダイヤモンド」をプレイした日々。相棒のヒコザルとともにシンオウ地方を駆け巡るのはワクワクした。小学生になってからはドラゴンクエストⅨ。友達と通信して、宝の地図のボスを協力して倒した。

 

 あの頃の自分に戻りたくて、私は狂ったように小さい頃に買って貰ったゲームをプレイした。でもダメだった。思い出の中のゲームたちは、今の私にとって色褪せた写真の過ぎなかった。

 

 そのうち、私はゲームをすること自体止めてしまった。

 

 そんなある日のことである。ゲームを止めた私の暇つぶしは、もっぱらYoutubeだった。適当に動画を眺めていたとき、画面の右端にその動画はあった。

 

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 これが私とVtuberの最初の出会いだった。

 

 エースコンバットシリーズが高難易度かつ非常に評価が高い作品であることは知っていた。「最近はVtuberもこんなゲームをプレイするんだなあ」と思い、完全な興味本位で動画を開いた。

 

 まず、その素晴らしいグラフィックに圧倒された。雲の形はドローンで撮ってきたのかと見紛うほどにリアリティに溢れ、空の青さはそれこそ突き抜けるようで。コクピット内の計器は実写と言われても違和感がないほどに作りこまれていた。火を吐くアフターバーナー、上昇と下降に合わせて動く尾翼、発射されるミサイルの噴煙と撃墜した敵機の爆炎。

 

 実際にプレイしていないにも関わらず、「間違いなく空を飛んでいる」と確信した。「凄まじいゲームに出会った」とも思った。

 

 同時にプレイしている白上フブキの腕前にも舌を巻いた。初見のゲームにも関わらず、戦闘機の操作が上手い。いや、操作の上達速度が高い。短い動画の中で、確実にその腕を上げている。

 

 私には勝てない。これほど上手くはなれない。このゲームを楽しめるのは、やはり選ばれた上位者だけなのか。

 

 この動画で彼女がプレイしていたのは「Long day」というステージだった。このステージ、とにかく難易度が高い。荒野と谷で対地目標を破壊するのが目的なのだが、それが難しい。

 まずこちらの弾の数と比べて敵がびっくりするくらいに多い。地面を埋め尽くすSAM対空機銃、そしてスクランブルしてくる敵戦闘機。レーダーは敵を示すフリップで真っ赤に染まっているし、制限時間もある。慣れればどうにかなるのだが、初見で突破するのは不可能に近い。

 そして対地攻撃という行為そのものが難しい。当たり前だがミサイルと機銃はまっすぐにしか飛ばないので、必然的に地上目標を狙う際には地面にダイブしていくor地面スレスレを水平に飛行することが求められる。目標を破壊したあとはすぐに機体を立て直さなければ、地面に熱いキスをするか岩肌にこんにちはするかして漏れなく爆散するハメになる。

 

 白上フブキもまた、このステージには苦戦していた。何回も何回も地面に突撃し、岩壁に突っ込み、機体が爆散していた。

 

 正直に言って、このときの私は少し胸がスッとした気持ちだった。上手い人間が失敗する光景を見て、歪んだ自己肯定感を満たしていた。どうせ投げ出すぞ、とも思っていた。

 

 だが動画が三本目に入り、そろそろ死亡回数が二桁にも乗ろうかというときになっても、彼女は楽しそうにプレイしていた。地面に掠って機体が大破し、悔しそうな声を出すことがあっても、その中心には「楽しい」という感情があった。

 

 結局彼女は動画内でそのステージをクリアすることは出来なかったが、それでも白上フブキは楽しそうだった。

 

 ひねくれものの私は「まあ企業タイアップだからな、あんまりなことも言えんだろ」と天邪鬼なことを考えたが、それはすぐに覆される。アーカイブを見ても、生放送を見ても、白上フブキはいつでも全力でゲームを楽しんでいた。何度敗北しても、その度に笑って再び挑んでいった。

 

 「ああ、別に失敗することも負けることも恥じゃないんだな」と私は思った。強いボスに出会って、色々頭を悩ませながら何度も挑戦した幼い頃の気持ちが、ぼんやりと戻ってきた。

 

 私は近所の電気屋に走った。PS4エースコンバット7を買うために。

 

 エースコンバット7は、素晴らしいゲームだった。噂に違わぬ操作難度の高さに、凄まじい変態機動でこちらのミサイルを避けるUAVにミハイ。私は当然のように地面に激突しまくり、避け損ねた敵機に正面衝突をかまし、後ろからミサイルを叩きこまれて爆散することを繰り返した。だけれど。

 

「楽しい」

 

 私の中の感情はそれだけだった。撃墜されて、再出撃することは苦ではなかった。美しい青空を飛行し、敵機とドッグファイトを繰り返し、子供のように目を輝かせながら戦闘機を駆った。そのとき私は間違いなくパイロット、主人公である"トリガー"だった。

 

 

 あの頃の純粋にゲームを楽しむ気持ちが、私の中に帰ってきた。

 

 失敗することはなんてことではなかった。壁を乗り越えるということは、辛いことばかりではなく楽しいことでもあった。

 

 ゲームとは、辛い現実から逃げるためのものではないことを、私はようやく思い出すことが出来た。

 

 ゲームは楽しむものだ。未知なる冒険に心を躍らせ、悲劇に涙を流し、世界を救う喜びを感じる。欠損を埋めるだけではなく、QOLを高めるもの。

 

 コンシューマーゲームだけでなく、ソーシャルゲームを楽しむ気持ちも戻ってきた。おかしなマウンティングに使うのではなく、ただ自分が楽しむためにプレイする。当たり前と言えば当たり前なのだが、すっかりとそのことを忘れていた。

 

 完全に終わった思想に取り憑かれていた私が立ち直るのはまた別の話なのだが、その第一歩となったのは間違いなくこの出会いだ。

 

 改めて、ありがとう。私は貴女のおかげで、ゲームを楽しむ気持ちを思い出せました。大好きだったゲームを正しく受け止めることが出来たおかげで、私は立ち直るための一歩を踏み出すことができました。

 そして、この素晴らしいVtuberの世界に出会わせてくれて、ありがとう。私は今、とても楽しい。辛いことや悲しいことは多いけど、それでも貴女たちが笑う姿、頑張る姿を得て、毎日立つことが出来る。

 

 ありがとう、白上フブキ。ゲームを楽しんでくれて、本当にありがとう。

 

 それとエースコンバット7、マジでいいゲームなのでオススメですよ。

狛犬瓦版、創刊

 推し事、楽しんでますか? 私は楽しんでます。

 

 初めましての方は初めまして、私の作品を読んでくださったことのある方はおはようございます。ようこそ、狛犬瓦版へ。

 

 普段はTwitterで限界オタクをやりながらPixivに推しのSSを細々と投下しているVオタクの私ですが、この度ブログを書くことにしました。そう、Twitterの120字では語り切れないが、SSにするのには相応しくない感情が多すぎる。

 

 オタクは面倒な生き物だ。「エモい」で済む感情を分解・分析して自分がいかに感動しているかを他者に伝えたがる。しょうがないじゃん、だってすごいんだもん。誰かと共有させてよ。「エモい」、その言葉が内包するものはあまりにも多い。どちらかと言えば感動方面に寄っているような気もするが、その寄り方は人や状況によって様々だ。とてもではないが「エモい」の一言だけでは、自分が抱いた溢れんばかりのパッションは伝えきれない。

 

「エモいな……」

「ああ……」

 

 こんな会話が通じるのは一部のエリート、竹馬の友と書いてソウルフレンドと読むような人々だけである。まあV界隈ではこれで通じちゃうことも多いんだけど。

 

 というわけで、このブログ『狛犬瓦版』は、私が「来ている……オレのハートに来ている!」と思ったものをどうにか日本語にし、その感情を多くの人と共有するためのものである。その関係上、Vtuberについての記事が多くなるかと思われる。その他は自分の趣味(特撮、SF、TCG、ミステリ、ロボ……etc)について雑多に書いていくつもりだ。更新は週一程度にするつもり。

 

 以上、狛犬童子でした。それでは皆さんよろしくお願いします。