狛犬瓦版

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五条悟を語らせてくれ:呪術廻戦

※本記事は単行本のネタバレが多分に含まれています! 未読の方は注意!!

 

 皆さんは五条悟という男をご存知だろうか。そう、あの五条悟である。ジャンプに連載されている漫画『呪術廻戦』に登場する五条悟だ。

 

 『最強』『主人公の師』『細身のイケメン』『目隠し』『飄々とした態度と熱い心』……

 

 そう、彼は大人気キャラとして成立するために必要なアイコンを全て保有した、文字通り最強の男だ。作者である芥見下々大先生のご自宅に送られたバレンタインチョコは、五条悟宛てが一番多かったというが、それもなるべくしてなったというべきか。

 

 正直に言って、私は五条悟があまり好きではなかった(過去形)。彼が格好いいのは事実だ。だがそれは主人公である聖人・虎杖悠仁や、己の定めたルールに従う友人・伏黒恵、頼りがいが半端じゃない女傑・釘崎野薔薇も同じである。

 

 彼らに限らず、『呪術廻戦』に登場する呪術師はみな、自らの信念を強く抱いている。それを貫く有様こそ『呪術廻戦』の醍醐味であると言っていい。

 

 だが、五条悟の目的・思想はかなり初期に開陳されたのに対し、その核となる理由が全く見えてこなかった。「腐った呪術界を刷新する」。それはいい。だが、どうして彼はそのような思想を抱くに至ったのか。

 

 例えば主人公・虎杖は「祖父の遺言」というキッカケ、そして学長の呪骸に殴られる中で見出した「生きざまで後悔したくない」という、呪術師として活動する理由がある。伏黒も、釘崎もそれは同じだ。

 

 だからこそ私は、五条悟があまり好きになれなかった。格好いいことは事実だと思っていたが。

 

 そんな私の考えの転機となったのが、最新巻である8・9巻、つまり、五条悟過去編である。渋谷決戦という大一番を控えたこのタイミングで差し込まれた、キーパーソンの過去編。我々の芥見先生が繰り出してきたそれは、文字通り必殺の一撃となって私を射抜いた。

 

 「五条悟、お前…………(クソデカ感情)」

 

 今回は8・9巻と以前の内容をリンクさせる形で、五条悟について語っていきたいと思う。

 

⒈ 夏油傑との関係性

 さて、過去編において最もフォーカスが当たったのは五条悟と夏油傑の関係性についてである。

 

 夏油傑は前日譚である0巻において登場し、同作のラスボスを務めた男だ。本編においても呪霊と手を組み、五条悟を封印すべく暗躍している(この本編に登場する夏油については後述する)。彼は非呪術師=一般市民のことを「薄汚い猿」と蔑む差別主義者で、そんな彼が過去編において「呪術は呪術師を守るためにある」などと宣ったときは、筆舌に尽くしがたい衝撃があった。

 

 一方、五条悟は現代と変わらずゴーイングマイウェイ。「弱い奴等に気を遣うのは疲れるよホント」などとコメントする様は一見0巻の夏油と立ち位置が反転したようにも見えるが、冷静に考えれば現代の五条悟は一般人に言及したことがない。五条悟の一般人に対するスタンスは、今も昔も変わっていないと見るのが正解だろう。

 

 さて、そんな二人は当然ソリが合わず喧嘩ばかりしているように見えて、夜蛾先生を弄り倒したり、星獎体の天内理子を護衛する任務で抜群のコンビネーションを見せたりと、親友と呼べる間柄だった。

 

 五条悟は星獎体護衛任務が開始する直前、夏油に向けて「俺達最強だし」と当然のように言った。夏油もまた、最終局面において天内理子に「私達は最強なんだ」と誇りと自信に満ちた表情で語っている。

 

 そう、この時点では確かに「俺『達』」が最強だった。だが、その関係性は終焉を迎える。

 

 天内理子を殺す依頼を受けた伏黒甚爾(以下、パパ黒)との交戦おいて、二人は文句の付けようが無い完全敗北を喫する。五条悟は徹底的に集中力を削がれた上で呪術的チャフというフェイントに引っかかり撃沈。夏油は奇襲によって天内理子を目の前でむざむざと殺害された上、最強の手持ち呪霊を破られた挙句「術式が危険だから」殺さないという辱めを受ける。

 

 最強と自負していた自分たちの敗北。しかも相手は呪術を持たない、今まで見下していた非術師。夏油のプライドはズタズタになったことだろう。

 

 それだけなら、よかった。

 

 五条悟はそれだけでは終わらなかった。臨死体験を経たことで呪術の核心を掴み、無下限呪術を完全に支配下においた彼は文字通り覚醒した。

 

 あれだけ圧倒されたパパ黒を軽く圧倒して殺害してのけ、一年後には当時と同じ状況だったとしても間違いなくパパ黒に勝てると言えるほど圧倒的な水準にまで進化していた。

 

 夏油傑は言う。「悟は"最強"になった」と。

 

 同等の存在、一般人とは違う高みにいると思っていた自分たち。五条悟は隔絶した次元にまで到達したのに対し、自分は一般人に敗北した。"最強"であったはずなのに、少女の未来一つ守れなかった。

 

 やがて、夏油傑は変節する。一般人の醜さ、五条悟へのコンプレックス、そして死に続ける仲間。そんな現状を打破することを誓った彼は、「猿は嫌いだ」という本音を選び、非術師を根絶しようと動き出す。

 

 そして対峙する二人。夏油は五条悟に問いかける。

 

 「君は五条悟だから最強なのか?」

 「最強だから五条悟なのか?」

 

 答えを咄嗟に返せない五条悟に対し、夏油は続ける。

 

「もし私が君になれたら、この馬鹿げた理想も地に足がつくと思わないか?」

 

 五条悟は変わっていない。確かに強くなったが、それは彼にとって重要なことではない。なのに、親友であったはずの男は言うのだ。「最強が先かお前が先か」と。

 

 そして、背を向けて去る夏油の背中を、五条悟は撃つことが出来なかった。

 

 その後、五条悟は幼少期の伏黒恵と会う。この時、一人称が「俺」から「僕」に変わっているのがにくい。当然、これは「年下にも怖がられにくい」と夏油から勧められたことを受けてのことだろう。

 

 幼い伏黒としばし語った後、五条悟は言うのだ。

 

 「強くなってよ。僕に置いていかれないくらい」

 

 きっと、五条悟は答えが出せなかったのだ。最強だから自分なのか、自分だから最強なのか。

 

 恐らくだが、五条悟は家庭環境に恵まれている。御三家の生まれ、そして六眼と無下限呪術をセットで持って生まれた最高峰の人材。親に可愛がられたことは想像に難くない。現に夏油との問答で「だからって親も殺すのかよ!」と言っている。つまり、五条悟は夏油と同様の結論に至ったとしても、両親は殺さないと言っているに等しい。

 

 五条悟の力は、血で受け継がれてきたものだ。例え五条悟に六眼が発現しなかったとしても、いずれ誰かが発現していたことだろう。

 

 故に、五条悟は断言できない。最強が先が自分が先か分からない。

 

 それでもなお、五条悟は最強であることを止めない。悩まない。何故ならその世界が心地よくて、それゆえに天上天下唯我独尊だから。

 

 そう考えると、なぜ彼が腐った呪術界を唾棄するのかも見えてくる。

 

 呪術界は散々指摘されているように、保身や世襲や見得だのに囚われている。だからこそ両面宿儺の器という、両面宿儺を消滅させる最高のカードを切れない。あまつさえ処刑しようとする。

 

 救えるものを救おうとしない。目の前で親友を魔道に落としてしまった五条悟は、それが許せない。

 

 そして、五条悟はその変革を自分一人では成し得ないことを知った。いや、恐らく彼はそれが出来るだけの力はあるのだ。上層部を皆殺しにして首を挿げ替えてしまえば解決する。だが、それでは夏油傑と同じだ。夏油傑の言い分を認めることになる。

 

 だからこそ彼は教師として、仲間を、将来有望な術師を鍛える道を選んだ。

 

 夏油も同様に、呪術師の仲間を集める道を選んだのは、皮肉というべきかなんというべきか。

 

 そして五条悟と夏油傑の関係は、夏油が五条悟の教え子である乙骨に敗北したことで幕を閉じる。致命傷を負った夏油は再起を図ろうとするも、それを読んでいた五条悟が現れてしまったことで完全に「詰む」。

 

 五条悟が夏油に引導を渡すとき、どんな顔をしていたのかは描かれていない。言えることは、夏油が一瞬真顔になったあとに思わず吹き出したこと、そして夏油の離反を知った五条悟は、いつもの飄々とした態度をかなぐり捨てるほどに狼狽したということだ。

 

 「呪術師なんだから、最後くらい呪いの言葉を吐けよ」

 

 誰よりも呪術師を愛した男は、呪術師の頂点である親友の手で終わりを迎えた。このとき、五条悟は何を想ったのだろうか。

 

⒉ 他者の呼び方は適正区別なんじゃないか説

 五条悟は基本的に他人を下の名前で呼ぶ。(例:「悠仁」、「恵」、「葵」など)

 この法則から外れている人物は確認できている限り以下3名。

 

・七海健人

伊地知潔

・天内理子

 

 最初は非術師と術師で呼び分けているのかな、と思ったが、七海でそれは矛盾する。

 

 逆に、下の名前呼びしている人物は誰か考えてみる。

・虎杖悠仁

・伏黒恵

・釘崎野薔薇

・狗巻棘

・禪院真紀

・東堂葵

・乙骨憂太(公的な場では乙骨呼び)

・庵歌姫

(パンダ、秤はフルネームが不明なので除外)

 

 こう見てみると、術師は名前呼びに偏っていて、むしろ七海がイレギュラーであることが分かる。

 

 五条悟の性格からすれば、「健人」呼びを嫌がるであろう七海を喜々として呼ぶことは想像に難くない。それ故に七海の苗字呼びはかなり浮いて見える。

 

 七海は五条悟が信頼を置く術師の一人にして、脱サラという異色の経歴を持つ。この脱サラ、という点にポイントがありそうだ。

 

 七海は優しい。改造人間に怒りを燃やし、「もうあの人一人でよくないですか?」というほどに五条悟にコンプレックスを抱き、自らの無力さを痛感して呪術師を止めたのに、パン屋のお姉さんの笑顔でまた呪術師に戻ってきてしまう。そして自らの死を確信したときには、「大勢の人から感謝はもう貰っている」と笑える人間である。

 

 「根赤」と評される虎杖の指南役として七海を当てたことからも、五条悟からの評価も「優しい人間」であることは間違いないと思われる。

 

 では、芥見先生公認の聖人である虎杖と七海では、いったい何が違うのだろうか。

 

 五条悟は虎杖をこう評した。

 

 「悠仁はさ、ココ(頭)がイカれてんだよね」

 

 虎杖悠仁は元一般人でありながら、必要とあれば躊躇いなく拳を振るう。そこに躊躇は存在しない。鎮圧することが目的であったとはいえ、友人の吉野順平をも容赦なく殴り飛ばしたことからもそれは伺える。

 

 一方、七海はそれが出来ない。改造人間と初めて交戦した際も、虎杖に交戦を止めるように言っている。もちろん、呪術師としての覚悟はあるから相手が例え人間であっても、罪がある人物なら迷うことはない。

 

 七海は、頭がイカれていない。

 

 つまるところ、五条悟が名前呼びをする人物=頭がイカれている=呪術師の資格がある。逆に苗字呼びをする人物は頭がイカれていない=一般人というように呼び分けているとしたら。

 

 七海に「お前はまだ戻れる」と暗に示しつつも、彼を重用しているのだとしたら。

 

 五条悟は、とんでもない人でなしなのではなかろうか。それがまた魅力的なんだけど。

 

おまけ:夏油傑は本物か?

 0巻及び8・9巻を読み直している最中、何か引っかかるものを感じた。

 そういえば、夏油傑、本編では一般人のことを一度も「猿」と呼んでいない。そこに気付くと立て続けにおかしなことを発見した。

 

 まず、五条悟も「悟」呼びじゃない。術師を殺害しないというポリシーがある(0巻で禪院真紀をほぼ殺害寸前まで追い込んでいるのに対し、パンダと棘は戦闘不能レベルで留めている。乙骨に関しては完全に殺す気だったが、逆に言えば目の前にぶら下げられた松本里香という最強のカードに飛びつき、ポリシーを曲げたことが敗因とも取れる)のに、本編では術師のタマゴである吉野順平、そして話が通じないとはいえ仮にも「家族」の一員である組屋柔造(変換が出てきませんでした)を平然と捨て駒にし、取引相手であるメカ丸を殺害しようと真人をけしかけている。なんなら高専襲撃時には高専生を殺害しようとする花見に対し、「いいけど」とまで言い放った。

 

 そも、五条悟が親友を殺すときに万が一生き残ってしまうような手加減をするか?

 

 というか、過去編で描かれた夏油傑は、「五条悟を封印する」というようなまどろこっしい手段はとらないように見える。

 

 来るべき渋谷決戦、真実が明かされる日は近い。(多分本誌ではもう明かされてるんだろうけど)