狛犬瓦版

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覇王十代とは何者だったのか

 先日、撮り溜めしていた遊戯王ベストデュエルセレクションを視聴中、覇王十代VSジム戦が始まった直後に、一緒に見ていた父がぽつりと呟いた。

 

 「結局、覇王って何なの?」

 

 そりゃ十代の心の闇でしょ、と私は返したが、父はなおも首を捻って続けた。

 

 「そうは言っても、ああなるもんなの?」

 

 まあ確かに。覇王十代は今までの十代とはあまりにもキャラクター性が違い過ぎる。「十代の心の闇」という一応の説明こそ為されていたが、十代があんな闇を抱えている描写はあまりなかったように見える。

 

 これを「ライブ感」だの「作者の人そこまで考えてないよ」だのと言った言葉で片付けてしまうのはあまりにも惜しいので、今回はそれについて少し掘り進めてみようと思う。

 

⒈ 十代の闇とは何か?

 改めて遊戯王GXを見直してみると、プロフェッサーコブラを初めとする海外組の来日からユベルとの俺とお前を超融合までは一連の流れであったことを思い出した。プロセスとしてはこうだ。

 

 プロフェッサーコブラユベルを復活させるために暗躍

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 ユベル、不完全ながら復活。異世界にデュエルアカデミアを転移

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 レインボードラゴンの力で異世界から帰還。ヨハンが置き去りに。

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 ヨハンを回収するために十代一行は再び異世界

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 〈暗黒界の狂王 ブロン〉の罠にハマり、仲間たちが生贄に。残った仲間たちからも身勝手な態度が原因で見捨てられる。これが原因で十代は覇王化。

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 ジムとオブライエンの献身により覇王化解除。

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 十代、酷く憔悴するもヘルカイザーの命を賭した激励により復活。

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 ユベルと超融合

 

 プロフェッサーコブラからしユベルが暗躍しており、その後の展開もどうもプロットは決まっていたように思える。

 

 だとすると、十代の心の闇を読み解くヒントはプロフェッサーコブラの刺客とのデュエルの中にありそうだ。

 

 十代の本質を突くようなデュエルといえば、この時期だと一つしかない。そう、113話の佐藤先生戦である。「佐藤先生って誰だよ」とお思いの方もいるだろうが、〈スカブ・スカーナイト〉の人と言えばお分かりいただけるだろうか。

 

 佐藤先生は元プロデュエリストのデュエルアカデミア講師だったが、十代が真面目に授業を聞かなかったせいで他の生徒もそれを真似するようになり、結果的に授業崩壊のような状態に追い込まれてしまう。彼はその原因である十代を憎悪し、デュエルを挑む。

 

 この時点で十代は三幻魔、光の結社と二度もアカデミアを魔の手から救っており、その影響力はもはやただの生徒と言い切るのは不可能なほどに拡大していた。十代を英雄視する生徒が出てくるのは当然の話であり、そんな彼が爆睡している授業など聞く価値もないと判断されるのも無理もない話である。

 

 十代はここまでそのカリスマ性によって仲間たちを引っ張ってきたが、その負の面が現れたケースだと言える。彼の後には人々が着いていく。その先が間違いだったとしても、断崖だったとしても。逆に言えば、「今までが上手くいっていただけ」なのかもしれない。

 

 十代の無責任さを糾弾する佐藤先生は、〈スカブ・スカーナイト〉の効果を発動。佐藤先生の叫びそのものとでもいうべき〈クライング・スカーナイト〉を召喚し、その効果で相打ち狙いのバーンを行うが、十代は〈コクーン・ヴェール〉でダメージを回避。結局デュエルは佐藤先生の自爆という形で幕を閉じる。

 

 ここで重要なのは十代はこのライフダメージを回避しまった点。佐藤先生の糾弾を受け止めるのではなく、それを受け流してしまった。更に十代は佐藤先生のライフポイントを0にしておらず、明確に彼の主張を打ち破れていない。

 

 ここで問題提起された十代のカリスマ性と、十代がそれを自覚的に運用していない、つまるところ身勝手であるという問題は、ブロン戦で最悪の形で実を結ぶ。

 

 ヨハンの身を案じるあまりスタンドプレーに走る十代は仲間たちの孤立を招き、結果として仲間たちは超融合の生贄とされてしまう。ブロンに激怒する十代。しかし、オブライエンとジムと約束したのにも関わらず、スタンドプレーに走ったのは間違いなく彼の責任である。その責任を無視して、身勝手な怒りを爆発させた十代は〈暗黒界の魔神 レイン〉をサンドバックにする。有名な「ぶっ倒しても!ぶっ倒して!」だ。このシーンでの十代は両の瞳が金色に染まっており、実質覇王化していたことが伺える。

 

 以上より、覇王十代とは何か、という問いに対しては「十代の身勝手さの化身」というアンサーが用意できることになる。

 

 そうなると、「なんで超融合完成させたかったの?」「ヨハンを助けることが目的なのに異世界に覇を唱えるとか言い始めたのはなんで?」という疑問にもある程度説明がつく。

 

 覇王十代は十代の反転、今風に言うならばオルタとでもいうべき存在であり、彼のカリスマ性とそれを利用する身勝手さをマイナスの方向に傾けたものである。

 

 覇王の行動には目的が無い。いや、異世界に覇を唱えるのが目的と言ってしまえばそうなのだが、それには明確な根拠な指針が全く存在しない。「身勝手」の極みだ。だからこそ覇王十代は十代の反転であり、十代の問題点をそのまま炙り出した存在=十代の心の闇なのだ。

 

⒉ ジムの説得は不発で、オブライエンが説得できた理由は何か

 ジムとオブライエンは共に十代を覇王から救い出そうと奮闘し、そのためのキーアイテムとして「オリハルコンの眼」という謎アイテムを使用したことで共通する。

 

 「オリハルコンの眼ってなんだよ」という疑問については多分答えが出ないので置いておくとして、ジムが失敗してオブライエンが成功した理由は、恐らく「自分の中の覇王に打ち勝った経験があるか」ではないかと思う。

 

 オブライエンの場合の覇王とは、すなわち「臆病さ」である。かのゴルゴ13も語っていたように、兵士が生き残るために必要なのは臆病さだ。オブライエンも現役の傭兵である以上それは身に染みて理解していたであろうし、劇中でもオブライエンは慎重に行動する様子が目立った。慎重とは裏を返せば臆病に他ならない。

 

 覇王十代の圧倒的な力に粉砕され、死亡した(してないけど)ジムと、友に友を救うことを託されたにも関わらず怖気づいて無様に逃げ出した自分。慎重さ、臆病さは自分が生き残るために大切なことだが、それが最悪の形で発露してしまった。

 

 オブライエンは自らを責め、そして〈海原の巫女〉たちとの交流によって恐怖心を克服する。劇中でも勇者と言われた通り、彼は自らの闇である臆病さを勇気に変えて覇王に挑んだ。デュエル結果こそ引き分けであったが、あれだけ怯えた超融合を発動されてなお諦めない姿を見せつけ、確かに十代を覇王の中から救い出してみせた。

 

 4期におけるミスターT戦において、他のメンバーはトラウマや将来への不安を突かれて敗北していたが、オブライエンの場合は「母親を見殺しにしたという偽の記憶を植え付ける」という手段で精神攻撃を仕掛けられたことからも、彼が己の闇を振り払った境地に達していたことが伺える。

 

⒊  ユベルと決着を付けるために必要だった道筋

 さて、オブライエンによって覇王を討ち取られ、解放された十代だが、自らの代名詞とでもいうべき融合を発動できなくなってしまう。

 

 このとき十代は、覇王として自らが行ってきた所業=自らの身勝手さが招いた末路を目の当たりにした。つまり、仲間の死と超融合のために築き上げた屍の山である。

 

 そして、彼が先導していたのは仲間たちや配下だけではない。デッキの中のモンスターたちもそうだ。彼の身勝手さによって「E・HERO」たちはその在り方を歪められ、「E-HERO」へと堕とされた。本来なら、人々を守るためのHEROを虐殺の道具へと貶めてしまった。

 

 アムナエルも語っていたように融合のカードは十代の象徴であり、彼の可能性のメタファーでもあった。だが、融合によって生み出される結果が必ずしも良いものとは言えない。その最悪の形が〈ダーク・フュージョン〉であり、「E-HERO」だ。それを自覚した十代は、自らの可能性である融合を恐怖し、使えなくなってしまったのだ。

 

 丸藤亮は十代が融合を使えなくなっていることを見抜き、彼を圧倒する。ヘルカイザーと化した亮もまた、自らの闇と相対した人物の一人だ。リスペクト・デュエルを掲げておきながら、その実、彼は自らの勝利を前提としていた。実際、カイザー時代の負け試合はカミューラ戦だけであり、それも人質という番外戦術によるものだった。そしてプロデビューを果たし、敗北を重ねる中で、彼は自らの根源的欲求である「勝ちたい」という思いに気付く。そこからヘルカイザーとなった亮は、貪欲なまでに勝利を求めるようになる。しかし、その本質が変わっていないのは実際に相対した天上院吹雪が語った通りである。

 

 十代をあっさりとワンキル確定の状況まで追いこんだヘルカイザーは、自らの身体が限界に達していることを察し、ユベルを最後の相手に指名する。序盤から中盤までは遊星にデュエルを進めるが、心臓が限界を迎えてしまってからは途端に劣勢となり、追い込まれる。

 

 だが、ここに来て〈パワー・ボンド〉によってヘルカイザー、否、丸藤亮のフェイバリットカードである〈サイバー・エンド・ドラゴン〉が降臨する。更に〈サイバネティック・ゾーン〉の効果により「最高の魂の輝き」として攻撃力16000という凄まじい数値を見せつけるも、〈パワー・ボンド〉の代償により敗北してしまう。

 

 この〈サイバー・エンド・ドラゴン〉にはさしものユベルも怯えの表情を見せ、十代と翔はその魂に涙を流した。そして、このデュエルをきっかけとして十代は再び融合、そして超融合を使う決意を固める。

 

 そして迎えたユベルとのデュエル。十代は覇王十代の力すらも完全に制御下に置き、〈超融合〉の発動対象を自分とユベルにすることによって文字通り一つとなり、和解を果たす。

 

 ユベルは徹頭徹尾、前世の縁という個人的な事情で動いていたキャラクターだ。今までのボスである影丸や斎王は世界を支配するためという大きな目的で動いており、それを打ち破る十代もまた英雄として誰かを先導する立場に立っていた。そういう意味で言えば、ユベルは初めて十代が出会った「個人として向き合わなければならない相手」であり、だからこそユベルとケリを付けるためには、無意識のうちに他の人を先導し、身勝手さによって振り回すという自らの罪を自覚する必要があった。ユベルと個人的に向き合うことそのものが、その罪を清算することにも繋がった。

 

 そして罪を自覚したからこそ、ユベルと融合してアカデミアに帰還した十代はレッド寮に閉じこもったのである。

 

 纏めると、覇王十代とは十代の罪=身勝手さ、無意識に人々を先導してしまうことの象徴である。ということを最終結論として本記事は終わりにしたいと思う。