狛犬瓦版

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なぜVtuberファンは配信者に対して「甘い」のか

 最近、Vtuber関連のnoteをよく見る。新しくハマっただとか推しについて語るだとか、その内容はまさしく千差万別と言って差し支えないが、その中でも目に付くのは「Vtuberに飽きました」or「Vtuberの行く末」などと銘打たれたものだ。

 

 まあ、記事の是非については正直どうでもよろしい。それはあくまで個人の感想であって、同調するかしないかはそれこそ個人の自由である。晒上げして叩くなどもってのほかだ。

 

 ここで私が気になったのは、どの記事も判で押したかのように「Vtuberファン層への不満」を述べているところである。曰く、「ファンは配信者に対して甘すぎる」。私が驚いたのはほぼ全てのnoteがほとんど同じ点について触れていることだ。少数人が言っているだけならそれは個人の受け取り方で片付けられるものであるが、ここまで同じ意見が続出するとおそらく本当なんだろうな、という気がしてくる。

 

 主に私の観測範囲は企業所属Vtuberの方であり、交流を持たせて頂いているファンの方々も同様である。個人勢をメインに見ている方々はどうだかわからないが、確かに我々は配信者に対して甘い。放送開始が遅れても「いいよ~」で済ますことは日常茶飯事であるし、何らかの不備、不手際が発生したときでも基本的には「気にしないで、次気を付けよう」で終了する。そこに「プロ意識に欠ける」だの「ふざけるな」だのと怒りを露わにする人物はいない。

 

 代わりと言っては何だが、運営会社に対して怒りをぶつける人間がいることは否定できない。公式Twitterのリプ欄を見れば、暴言スレスレか軽くそのボーダーを飛び越えている汚らしい言葉を目にすることはままある。それでも基本的にそのようなコメントをする人々は大多数のファンからは鼻つまみ者として扱われるし、糾弾されることも珍しくない。公式リプ欄についても、ソーシャルゲームなどの公式アカウントと比べれば応援メッセージの方が多いのは一目瞭然だ。

 

 ではなぜ、ここまで我々ファン層は配信者および運営サイドに対して甘いのか? 惚れた弱みと言ってしまえばそれまでだが、それではあまりに芸が無いし、ここでは敢えてそれを考察してみようと思う。

 

 

 まず大前提として、Youtubeは基本無料だ。我々は基本的に配信者に対して対価を払わずにその動画や生放送を視聴している。メンバーシップやスーパーチャットといった配信者側にお金を届けるシステムも存在するが、それはあくまで任意だ。メンバーシップに入っていないからといって他のファンに爪弾きにされるということはないし、高額スーパーチャットが驚きと称賛を受けることはあっても、低額スーパーチャットに対して文句が出ることはない。

 

 ここでポイントなのが、支払いが完全に善意であり、そこに対してリターンが発生しないことである。基本的に視聴者がお金を払うことによってリターンが発生するのはメンバーシップに加入していることだけで、幾らスーパーチャットを送ろうが何か特典が発生するわけではない。

 

 同じく基本無料で楽しめるソーシャルゲームにおいては、お金を支払えば支払うだけ有利なシステムになっているのが常だ。それ故に高額課金者はやっかみを買うし、課金する人々も何らかのリターンを期待するが、ガチャというシステムが導入されている都合上、払った金額に見合う成果を得られないことも多い。そしてその怒りの矛先は運営サイドに向かう。

 

 対して、スーパーチャットを送る人々はリターンを全く期待していない。送りたいから送る、生配信への感謝の気持ちとして送る、それだけだ。悪い言い方をしてしまえば、自己満足の世界である(もちろん、配信者側はそれで利益を得ているので単なる自己満足ではない)。それ故にソーシャルゲームにおける課金者に相当する人々はすなわち熱烈なファンであり、一般の無課金者=普通の視聴者においても嫉妬心を煽られることが無いので文句を言わない。

 

 このリターンの少なさこそが、積極的に配信者サイドに関わろうとする人間があまり文句を言わないことに繋がってくるのではなかろうか。

 

 金の話をするだけでは少々がめついので、精神的な話もしておこう。

 

 当たり前のことだが、Vtuberは生きた人間である。いくらアニメ調のガワを纏っているからといって、彼彼女らは単なるキャラクターではない。暴言を吐かれれば傷つくし、自分が失敗したと認識していることをネチネチと掘り返されるのは決して気分の良いものではない。また、何らかの企業バックアップがついている以上、問題が発生した場合には運営サイドからの指導が入ることは容易に想像がつく。

 

 つまり、ファンサイドが文句をつける必要などどこにもないのである。そして仮に本人、運営サイドが気づいていない事態が発生したとしても、それに対する注意は極めて論理的かつ穏便にされるべきだ。勘違いしている者もそこそこ多いが、配信者とリスナーとの接点はほぼない。言ってしまえば顔見知り程度(顔知らないけど)の関係である。そんな人たちから突然ケンカ腰で文句を言われたとき、人はそれを素直に受け止めることができるだろうか?

 

 それを「甘い」、「馴れ合い」と呼ぶならそれはそれで構わないと思うし、上記のことを意識している人などほとんど居ないと思うが、このような状態を俗に「民度が高い」というのではなかろうか。

 

 そんなわけで、私は今日も推しを褒める。褒めちぎる。もちろん、ダメなことは穏便に指摘するつもりではあるが、少なくともそういった事態は観測範囲内で発生していない。

 

 やさしいせかいでいいのだ。配信者とリスナーは味方同士、争う必要など全くない。少なくとも、私はそう思う。

 

追記9/23

 なんだか勘違いされている方が一定数いらっしゃったので、一応釈明をしておく。

 

 私は意見を持つこと自体は否定していない。全肯定マシーンになることを推奨しているわけではない。要するに、伝えるTPOを弁えるべきだ、ということなのだ。

 

 人間というものは非常に難儀で、同じ指摘を受けたとしてもその時々の状況によって受け取り方が全く変わってしまう。つまり、助言及び注意というものは適切なタイミング、適切な言葉で伝えられたときに初めて効力を発揮するものであり、場合によってはそれが毒となる可能性すら存在する。

 

 そして、それを見極めることは非常に困難だ。我々は配信者と常時接しているわけではなく、配信者は表の顔をしか我々に見せない。この状態で無責任に注意や要望を送ったところで、毒となる可能性は否定できない。我々に見えないところで配信者がストレスを溜めている可能性すらある。

 

 では、我々は運営や配信者に対して何の要望や意見も送ってはいけないのか? それはNOである。理想はどうあれ、運営に対して我々が顧客である以上、要望を提出する権利は確実に存在する。

 

 ここで大切になってくるのが「時と場合」である。配信者を出来るだけ傷つけずに、我々の要望を最も穏便な形で送るにはどうしたらよいか。つまり、運営側が何か意見を募集しているタイミングを見計らって、そこに自分の要望を提出すればよいのだ。これならば運営的にもファンが何を求めているかを知ることが出来、我々としても配信者に余計な負担をかけることなく意見を具申できる。ただ、意見募集をされていないときに送り付けたところでそれは単なるワガママ、クレームとみなされる可能性が高い。どうしても自分の意見を常時聞いてほしいのなら、運営会社の株主にでもなろう。

 

 無論、自分の要望が全て通ると考えるのは思い上がりも甚だしい。それは単に配信者を自分の思い通りにコントロールしたいだけであり、自分の欲しいものが手に入らなかったことに対して駄々をこねる赤子と同等の恥ずべき考えである。

 

 結局のところ、最後に頼れるのはファン個々人の良心だ。配信者に対して何か注文をつけるとき、自分の胸に手を当てて考えてほしい。それは本当に必要な注文か? 注文そのものが無礼ではないか? そして、あなたが注文をつけるタイミングは適切ですか?

 

 私はその諸々を勘案した結果、「甘い」のである。代わりといっては何だが、公式のアンケートには必ず要望を書いて送っている。